2017年7月8日土曜日

大和市平和都市推進事業 広島学習派遣事前学習会

 大和市平和都市推進事業の広島学習派遣部会の事前学習会が行われました。
今年で3年目を迎える学習派遣の取り組みは、8月5~7日の広島で平和記念公園や資料館、市内をめぐり、被爆者の方から直接お話を伺います。

 今年の派遣児童(生徒)は、小学生3名、中学生3名の計6名。今年から教育委員会ともタッグを組み、教員も一緒に参加します。(随行委員は、私と教員組合の方なので、実際は先生が2名随行)

 昨年参加した子どもらも学習会に参加し、去年の経験を話してくれました。約1年ぶりで、先輩らしさ(?)も発揮して、一回り大きくなった姿に感動しました。

 学習会には、神奈川県被爆者団体協議会の会長の中村雄子さんにご自身の体験をお話していただきました。「今年で85歳。7月17日の学徒動員令が無ければ、無かった命」と語り始めました。当時女学校2年生だった中村さんは、市内の学校から広島市の西にある己斐(こい)の飛行機工場での仕事に従事。8月6日は、電休日だったため、川泳ぎをしようと工場に集まっていました。昨晩から続く空襲警報で、工場で休んでいるところにB29が飛来。友達が「あ、B29じゃ。落下傘・・・」とつぶやいた瞬間に、閃光と爆風。全身にガラス片が突き刺さりました。血だらけになりながら、裏山の防空壕に逃げ、モクモクと広がる様子を見たそうです。
 中村さんが通っていた広島県立第一高等女学校は、爆心地から1~2㎞のところ。当日は、建物疎開に1年生が従事し、ほとんどが即死。8月中に全員が命を落としたそうです。3月末の生まれだった中村さんは、「あと一週間生まれるのが遅かったら・・・」と話します。
 7月7日、国連で核兵器禁止条約が採択されました。戦後、被爆者が差別され、何も口に出せなかった時期を経て、ビキニ環礁実験、原水爆禁止運動と被爆から72年目の成果です。平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に刻まれた『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』のメッセージを現実にする大事な一歩が踏み出されました。残念ながら日本政府は、国連での会合を欠席。条約にも不参加という態度ですが、被爆者の「命ある内に核兵器廃絶を」の願いを一刻も早く現実のものにしたいと思います。

 学習会終了後、反核平和マラソンが市役所にゴール。相模原市役所から、座間、海老名、綾瀬と巡り、約40㎞を走りながら、市民にアピールしてきたそうです。市長からのメッセージを受け取り、みなさんと「青空」を歌い、記念撮影しました。



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